なぜ「できない」のか。それは同じことをやっているつもりでも、実は違うことをやっているから。例えば最近私はドリブルの技を練習してるけど、やってみてもお手本の動作とはなんか違う感じになってしまう。何回やってもお手本と同じ感じにならない。おかしいなーと思いながら、帰ってもう一回動作を確認してみる。そしたら同じことをやっていたつもりで、全然違う動作をしていたことがわかった。お手本とは違うことをやってたら、そりゃーいくら練習してもお手本と同じ動作ができるようになるわけない。

同じことをやっている「つもり」

いくら練習してもできるようにならないときは、たいていこういうことが起こっています。自分では同じことをやっているつもりでも、実際は同じになっていない。違うことをやっている。間違ったことをやっている。それに気づかずに練習し続けている。それで「いくらやってもできない。これは俺にはできないんだ。もうやめちゃえ」ってなる。

疲れた様子

私はいくらディフェンス練習してもディフェンスができるようにならなかった時期があります。バスケを初めてから10年くらい。いくら真面目に練習してもできるようにならなかった。たぶん周りの人より真面目に練習してたと思うけど、周りの人のほうがディフェンスはできていた。

なんでそういうことになったかというと、それはやっぱり「同じことをやっているつもりでも違うことをやっていた」からなんですよ。動作的にね。今はそのときに比べたらだいぶディフェンスが上達したけど、上達できたのはディフェンスがうまい人の動作を分析して、それで「同じこと」ができるように練習したからだね。同じことをするようになってから、少しずつ動けるようになっていった。

「できない」のはやり方が間違っているから

「できない」ってのはやり方が間違ってるんですよ。だから「やり方」を知ればできるようになるんです。たいていのことは(ダンクとかそういうのは別)。できるようにならないことなんてない。できるようにならないのはやり方が間違っているから。だから、「できないな」と思ったら、「本当に同じことができているのかどうか」と考えたほうがいいです。たぶんできてないから(同じことができてたらできるようになってる)。

動作に僅かな違いがあったりするものです。それが見つけられたらこっちのもの。あとはそこを修正すればできるようになるわけ。そうやって動作を改善させてできるようになったときの感動はたまらないですよ。「あーそうか!わかった!!!!」ってなって最高に興奮する。楽しくなる。

そんでね、人に教えたくなるんですよ。「教えたがり」とよく言われるけど、たぶん興奮を共有したいから話すんだな。まぁ誰かに教えてもたいてい「ふ~ん」で終わるんだけどね。