元旦バスケは実現しなかったものの、2日にバスケ談義をしてきました。2009年新年会。バスケについて語り合おう!の号令で3人集合。帰省していた友人を加えて4人で村さ来へ。コーンバターベーコンばかり大量に頼んでいたやつがいる。あきれるほどコーンバターベーコンを頼んで、みんなに白い目で見られていた。「パ、パフェ頼んでいいっすか」とか言ってさらに周りをあきれさせていたが、やつも「もっとうまくなりたい」という想いが強い。この歳になるとなんとなく上達することを諦める感じの空気が漂うけど、何ムキになってんの?という雰囲気も出始めるけど、やつは声に出して「うまくなろーぜ」と言うのだ。それがとても気持ちよい。

プレーが合う人

「初めて組んでやる人とかでも、うまい人だとすげー合うんだよね。でも、ずーっと一緒に練習してるのに、ずーっと合わないままの人もいる。長く一緒に練習してるから合うかって言ったらそうじゃないんだよね。」

わかる気がする。この言葉をはなった彼はウマい。レベルが上がれば、我々とは違うポイントを見て、我々とは違う判断をして、我々とは違うプレーをしているのだ。そしてうまい人はみんな同じようなところを見て、判断して、プレーしている。一緒に練習している期間が短くても、そういうところが似ていればプレーが合うのだろう。

初めて組んだ人が似た価値観をもってプレーしているなら、プレーはすごく合うし、やりやすい。でも、そうじゃないとパスがほしいときにもらえなかったり、全然見えていなかったり、細かいズレがたくさん生じてくる。それがストレスになってくる。楽しいはずのバスケが楽しくなくなってしまうのだ。自分が足を引っ張る形でそういう状況を作りたくはない。そう強く思ったのだった。

うまい人は何を見て何を考えているのか

普段の練習では、基本的にレベルが上の人が自分に合わせてくれているだろう。それを当たり前のように思ってしまってはいけない。今自分はこういうプレーをしたけど、うまい人ならどういうプレーを選択しただろうか。うまい人同士ならどういうスクリーンをかけあって、どういうパスを回して、どのように点をとっていくだろうか。そういうところにまで考えをめぐらせたい。それができなければ、うまい人たちと同じ土俵で戦えることは二度とない。

うまい人だって上達していくんだから、我々はそれ以上のスピードでうまくなる必要がある。そのためには、もっとよく考えて、もっとよく研究して、そしてもっとたくさん練習していく必要がある。時間の制約もあってなかなか厳しいが、できる限り頑張っていきたい。